西郷(せご)どん、解説!第3回 中国との密貿易 -2
前回の西郷(せご)どんでは、西郷が薩摩藩家老の
調所広郷(ずしょ・ひろさと)に百姓の年貢の取り立てをおてやわらかに!
とお願いするシーンがありました。
が、
そのシーンでびっくり!
調所の着ていた紋付きの家紋が、あたしんちのと同じ、丸に桔梗(^_^;)
なんということでしょう!
元来、家紋は先祖から引き継がれるもので、途中で俺は菊のご紋がいい!
といって変更はできないもの。
ということは調所のご先祖と我が家のご先祖はつながっている! キラ~ん
その昔、じいちゃんが死んだ時にお墓を作ったんだけど、
出来上がったお墓を見てびっくりした。
なんと家紋が違うじゃないか!!
父親に即話したら、「あれ?下り藤じゃなかった?」とかへーきなことを言うので
中学生だった私は驚いた。その程度の認識なのかなぁ。
家紋は企業ロゴと同じく、そのファミリーの象徴だと思うんだよねー。
でも!
家紋に詳しい人に聞いたら、その丸に桔梗はそもそも百姓の出だ、とかとか。
諸説あって詳細不明でござる。(うちは明治時代から戦前まで商人だったみたい)
家老・調所は薩摩藩の財政を立て直したんだね、でかした!よくやった!
まぁ、痛みを伴わないと改革なんてできないからね。
泣いた人がいるってことだよ。
第4回も面白そうだ!
みんなで見ようね(@^^)/~~~
西郷(せご)どん、解説!第3回 中国との密貿易
はいはい、鹿児島出身のよーいちです。
第3回も泣かせる内容でしたね。
薩摩武士の貧乏ぶりがよく分かる内容でした(^_^;)
番組の最後に密貿易の話があって、温泉で有名な指宿(いぶすき)の隣の
山川港(やまがわみなと。へ?やまがわこうかと思ってた!)が
出てきました。
あの解説を見ると薩摩藩の密貿易は山川港だけで行っていた、
ようにも聞こえますが、ちょっとちょっと!
坊津(ぼうのつ)を忘れてはいけません。
=坊津を忘れちゃ、いかんど。
坊津は現在、南さつま市坊津(旧鹿児島県川辺郡坊津町)です。
「津」とは船着き場のことです。
「坊」とはお坊さんの住むところです。
リアス式海岸は入り江が深く、台風の多い薩摩地方にあって天然の良港
となっています。また密貿易船が隠れるのにも最適!
「津」はお隣の枕崎市からバス路線順にいうと、
「坊」「泊(とまり)」「九志(くし)」「秋目(あきめ)」という集落名です。
よーいちは小学生の時に枕崎から泊に引っ越したのですが、言葉が3割ぐらい
分からずに子供ながらにびっくりしたのを覚えています!
坊には密貿易時代の名残の「倉浜荘」があります。
坊には私が通った坊泊小学校がありますが、実は「一乗院」という
格式の高いお寺がその昔あったのです。
校庭には石造りの仁王像がありましたが、がきんちょだったよーいちは
登って遊んでいました。
そして坊津が日本史にその名を残したのは、遣唐使時代です。
遣唐使が唐に行く前、最後の日本での寄港地が坊津だったのです! ほほー!
そのころから中国との関係が深く、江戸時代になっても中国との密貿易が坊津を
経由して行われていたのも自然のことだと思いますよ。
江戸からは最も遠いところで、見つかりにくいし。
坊津はココです。
蛇足ながら
秋目集落ではその昔なぁんと!映画「007は2度死ぬ」のロケが行われました!まぢ!
トヨタ2000GTのボンドカーが来たか?は知りません(*^^)v
よーいちでした。
本日の検索ワード
坊津
一乗院
倉浜荘
007 秋目
西郷(せご)どん、解説!第2回
鹿児島出身のよーいちです。
20歳まで鹿児島にいました。3代遡っても鹿児島人の純粋な薩摩隼人です。
さて西郷どん第2回。
最近まで知りませんでしたが、薩摩の英雄、島津斉彬公は父上と仲が良くなかった
んですね。ふ~~ん。
とにかく薩摩藩は「武士」が多くて大変だったらしいです。
うちの家系は商人のようです。
また借金の形に女の子を売る、なんてひどいですねー。男の子じゃないんですね。
薩摩は男尊女卑の考えが今でも根強く残っている土地柄です。
ちょうどインドのカースト制度に似ています。
私はインドに業務出張した時に遠慮なしに聞きました。
「学校でインドのカースト制度について学んだが、今でも残っているのか?」
答えは、Yes!
見た目の制度上はないけど、人々の心に中には残っている、という返事でした。
鹿児島の男尊女卑も同じです。特に年配者には根強く、でしょうか。
明治生まれのばあちゃんは徹底していました。
自分のお風呂は最後、洗濯ものは男物とは別のたらい、干すのは男物は高くて風通しと
日当たりのいいところ、女物はその下。ごはんを食べる時は男は1段高いところ、
女は台所に近い1段低いところ。男が食べ始めるまで箸を持たない。
道路を歩く時は(中学生の俺でさえ)男の前を歩かない。
ばぁちゃん、そげんせんでも よかよ=そんなにしなくても いいよ
よー、知っちょっど=はい、知ってるよ
でも身にしみついているから自然と出るんですよねー。
しかし第2回の放送でぶっ飛びは、薩摩藩家老の家紋とおれんちの家紋が同じ!
だったことです!きゃー!!
幕末の薩摩藩家老は、小松清廉(こまつきよかど)、のちの小松帯刀(たてわき)
えーホントかぁ?(=>継続調査します)
家紋が同じ、ということは先祖は同じ、と考えてもいいですからね。
NHKのサイトから配役を調べると、家老は税所広郷となっています。
さてこれって誰?調べても出てこないんでさぁ。こまった困った。
よーいちでした。
特別採用(特採)ってナニ?
製造業どっぷりのよーいちです。
新人以来、ずぅーっと製造業Loveです。
この頃、技術立国ニッポン!の信頼性が揺らいでいます。
いろいろと虚偽申告があったようです。
どれもこれも抽象的な書き方で、ギョーカイ外の人には分かりにくいと思いますので、
今日は具体例を挙げて説明します。
特採(特別採用)(とくさい、と読みます)
って凄い名称だけど、製造業ギョーカイでは別に珍しくもありません。
ごくふつーの単語です。
普通、メーカーが何かを購入する時には、仕様書を発行して仕様書に書かれた
スペックのものを買います。
しかし何らかの理由でそのスペックをちょっと外れたものができちゃった場合、
メーカーは自社製品に使えるかどうか調べて、使えるようなら仕様書のスペックを
外れているけど採用しちゃう、ということをします。これが特採です。
通常、特採品の購入価格は通常より1割2割安くなります。
メーカーはその部品を使った組立品の納期遅れをなくせる、
部品供給する側はある意味不良品の破棄がなくなり納期的にも採算的にも助かる、
ということになります。
例えば、仕様書上、長さ100㎜±0.1mmの棒を買ってみたら、100.15mmだった。
普通なら100.1mmの上限以上なので使えないが、100.15㎜は実用上は問題なく
使える場合「特採申請書」を書いて社内を回覧して上司の許可をもらい、
OK品にします。ここで使えないなら作り直して再納品してもらいます。
もちろん特採品の箱には「特採品」というでっかい表示をつけるメーカーもあります。
品質保証部は特採の記録はしっかり取っておきます。そして次回以降の
メーカー(外注業者)審査の時にしっかりチェックするわけです。
この特採制度を内包して今までの日本のモノ作りは成り立ってきました。
いまだにこの制度が悪いとは思っていません。
この特採制度がないと製品のコストは上がり、納期遅れだって多く発生するでしょう。
あいまいさを含んでいるので、デジタル管理されるとひとたまりもありません。
ただし!あくまでも仕様書のスペックを少し外れても使える(組立て)製品の
許容量がある場合に限られますよ。よく見たらJISやISO基準を外れているとか、
組立て品の中で他の部品に干渉している、なんてダメですからね。
なんでもかんでも特採OKではありません。
よーいちでした。
西郷(せご)どん、解説!第1回
はてなブログをご覧の皆さま、
初めてお目にかかります、
鹿児島出身のよーいち(ペンネーム)と申します。
私のつぶやきに週3回程度おつきあいのほど、お願いします。