西郷(せご)どん、第4回-2 解説! ロケ地は「知覧武家屋敷」
どーも、薩摩隼人のよーいちです。
前回に引き続き、せごどん第4回の解説です。
まぁ、映画にしてもドラマにしてもそのロケ地が気になるし、
話題になりますよね。
今回は薩摩(鹿児島)が舞台なので、どうしてもロケはその辺になりますね。
第4回は明らかに、アソコでしょ!という場面が見られました。
知ってますか?
放送を見終わってから、どっかだよなー、えーっと、あ!と
思い出しました。
あと大久保の父親が島流しになって自宅を出るシーン。
あれも知覧武家屋敷ですよね。
あと子供たちがたくさん出てくるシーンも。
行ったことがありますか?
今年の観光シーズンは大変な人出でしょうね。
今見たら、赤松の切腹シーンは、このホームページの中ほどに出ている、
知覧武家屋敷とは、という写真のその!屋敷で撮影されていますね! きゃー!
この写真の中央奥に西郷隆盛が正座して切腹に立ち会う、という設定でした。
武家屋敷のたたずまいはよーいちの子どもの頃の薩摩地方そのままです。
めちゃくちゃ懐かしいです。
ただ一つ残念なのは真ん中の通りが舗装されていることです。
第4回の放送では砂がまかれていたのでしょうね。
道の両脇にある石垣から花が自然発生して、時々に花を咲かせるんです。
是非、知覧武家屋敷に行って、幕末の薩摩の雰囲気を味わって下さい。
本当によく保存されていますよ。
また江戸時代は人口比の武士の割合が多いので、薩摩のあちこちに武家屋敷が
残っています。
今の時代、武家屋敷の維持管理にはお金がかかるだろうと思います。
なにせ台風が毎年きますから。古い建物なので、何かしら壊れると思います。
さてその知覧武家屋敷。
建物の縁側に座るときれいな庭園が見られるところが多くあります。
その景色を全部自前でしつらえる、のではなくて上手に「借景」しているんですね。
よーいちはこの知覧武家屋敷に来るまで「借景」という言葉を知りませんでした。
知覧武家屋敷に最初に来たのは子供の頃、ではなくて、
東京から添乗員のアルバイトで! プチ恥ずかし薩摩隼人(*^^)v
そして添乗員ながら感動したのです。
この知覧武家屋敷に行って庭を見ながら、遠くの景色を借景し、風流を楽しんだ
200年前150年前の人たちに思いを馳せてください。
この武家屋敷の近くには、知覧特攻平和会館もありますから是非見てくださいね。
知覧には旧日本陸軍の特攻基地があって、第2次世界大戦末期には多くの若者が
出撃していきました。
鹿児島にはこの知覧のほかに、鹿屋、万世(南さつま市)にも特攻基地がありました。
彼らは「必至」の出撃でした。必至とは必ず死に至る、という意味です。
出撃したら帰ることは考えず、必ず死んでこい!という「激励」があったそうです。
一生懸命やる、でもダメだった、というぬるさではありません。
ツアーで行くと、知覧では武家屋敷と特攻平和会館の両方に行くと思います。
個人で行かれる場合は周辺に駐車場がいくつかあるので、よほどのピークでなければ
停められると思います。
150年前と70年前の歴史に思いを巡らせてください。
よーいちでした。